ショパン弾きのピアニスト
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ショパンを弾くピアニストは古今東西、数多くいますが、その中で誰が有名なのか、誰が歴史に名を残したのかが分かるように、 時代とともにショパン弾きのピアニストを紹介します。リンクのついたピアニストには解説ページを設けています。 興味のある方はご覧いただければ幸いです。

19世紀ロマン派後期の流れを受け継いだピアニストの中でも、 セルゲイ・ラフマニノフレオポルド・ ゴドフスキーウラディミール・ド・パハマンヨーゼフ・ホフマンイグナツ・ヤン・パデレフスキ等、優れたショパン演奏で 知られるピアニストは多かったようですが、残念ながら当時録音技術が未発達であったことに加えて経年劣化に伴い保存状態が損なわれているようで、 音質は鑑賞に堪えうるものとは言い難く残念です。従って、彼ら大ピアニストたちの演奏がいかに素晴らしかったか、 その演奏の本当の姿を把握することは残念ながら不可能です。 従って、ここではある程度の音質の録音で残るショパン弾きのピアニストを挙げながら、僕自身、そのピアニストに対して どう感じているか、場合によっては個人的な思い入れも含めて述べていこうと思います。

20世紀前半に活躍したアルフレッド・コルトーは、当時ショパン弾きの第一人者と言われた名ピアニストです。 現代のピアニストの演奏に慣れてしまった僕たちにはミスタッチがどうしても気になってしまいますが、音楽性は素晴らしく、 ショパン独特の詩情を大らかに歌い上げた演奏は魅力的で、ショパン演奏の原点とも言うべき存在です。 そのコルトーより10年ほど後に生まれたアルトゥール・ルービンシュタインは、ショパン と同じポーランド出身のショパン弾き、20世紀の大ピアニスト・巨匠で、その晩年、ステレオ録音によるショパン作品全集を残しています。 これは現在第一線で活躍するピアニストの多くがピアノ学習当時、模範演奏として仰いだと言われるもので、 スタンダードな秀演揃いです。ロシア生まれの天才、鍵盤の魔術師 ウラディミール・ホロヴィッツは、超絶技巧と独特の鋭敏な感性による超個性的なショパンを聴かせてくれますし、 同じロシアの巨匠スヴャトスラフ・リヒテルは完璧なテクニックで整然と整ったクールな頭脳と 熱い心のショパンを聴かせてくれます。 ラドゥ・ルプーが「千人に一人のリリシスト」であれば、 ルーマニア生まれの不世出のピアニストディヌ・リパッティは、さしずめ「一万人に一人のリリシスト」 と言っても過言ではないほど、洗練された美しい詩情をごく自然に紡ぎだす天才肌の演奏をするピアニストです。 33歳と非常に若くして世を去ったため音の状態の悪いモノーラル録音でしか聴くことができず、 彼の早世は惜しまれてなりません。 またサンソン・フランソワも その独特の節回しで自己陶酔するようなユニークなショパンを聴かせてくれました。

20世紀後半になると、コンクール時代、即物主義の時代となり、ピアニストの演奏技巧レベルは目覚ましい発展をとげます。 ここから先はショパンコンクールの優勝者・上位入賞者に絞って、時代とともにピアニストを概観したいと思います。

1955年第5回ショパンコンクールでは、第1位:アダム・ハラシェヴィッチ、第2位:ヴラディーミル・ アシュケナージ、第3位:フー・ツォンと 後に活躍する名ピアニストを輩出し、ショパンコンクールの存在意義がにわかに脚光を浴び始めました。 アダム・ハラシェヴィッチはポーランド出身のピアニストで映画俳優並みの美男子で、一時期はポーランドの国民的ヒーローになった逸材でした。 ことさら強い自己主張を持ち込まず自然で飾り気のない素朴で筋のよい音楽性が魅力的なピアニストです。 第2位のアシュケナージは、1つ1つの音を丁寧かつ繊細に紡ぎ出すタイプで、美しく彫琢された現代的なショパン演奏を聴かせて、 一躍脚光を浴びる存在となりました。審査員の1人、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリが1位:アシュケナージ、2位:田中希代子を主張し、 最終的な審査結果にサインしなかったという有名な逸話もあります。 余談ですが、この回のショパンコンクールで1位のハラシェヴィッチと2位のアシュケナージの点差はわずかに0.1ポイントで、 同率優勝でもおかしくなかったそうです。この結果にはポーランドとソ連の歴史的・政治的な因縁が見え隠れしています。

1960年第6回ショパンコンクールでは、コンクール史上初の西側の優勝者が誕生します。 イタリア出身のマウリツィオ・ポリーニです。優勝当時18歳であった彼は史上最年少優勝でもありましたが、 当時の名誉審査委員長のアルトゥール・ルービンシュタインが、「我々審査員の中で技術的に彼よりも上手く弾ける人がいるだろうか」と発言したことが 影響したのか、審査員全員一致の文句なしの優勝となりました。ポリーニは正確無比かつ強靭なテクニックで一分の隙も欠点もない 明快・鮮烈な演奏を披露して、ミスターパーフェクトの異名を取りました。

1965年第7回ショパンコンクールで優勝した女流ピアニストの マルタ・アルゲリッチは、 超絶技巧と男性顔負けの強靭な打鍵で奔放かつ情熱的な演奏を披露し、他を圧倒する演奏で世界一の天才女流ピアニストの名をほしいままにしました。 この回には日本人の中村紘子が第4位に入賞しました。

1970年第8回ショパンコンクールで優勝したのはアメリカ出身の大柄なピアニスト、ギャリック・オールソンで、 体格同様、スケールの大きい演奏をするピアニストです。またこの回の第2位は我が国の内田光子でした。

1975年第9回ショパンコンクールではクリスティアン・ツィマーマン(ツィメルマン)が優勝しました。 2位のディーナ・ヨッフェとの一騎打ちの様相だったようで、一部ではヨッフェ優勝を強く推したファンも多かったようです。 ツィマーマンの卓越したテクニックはコンクール当時から話題になっていたようですが、青年らしい瑞々しい情感をたたえ喜びに溢れる純粋な ショパン演奏は聴く人の心を強く動かすものでした。その完璧なテクニックはさらに磨きがかかり、音色に対する研ぎ澄まされた感覚と 鋭敏な感性、知性が混然一体となって紡ぎだされる演奏は比類のない美しさと完成度を誇っており、今や押しも押されもしない大ピアニストとなりました。

1980年第10回ショパンコンクール優勝のダン・タイ・ ソンは真珠のような大変に美しい音で、オーソドックスなショパンを 聴かせてくれる優等生的な逸材ですが、このコンクールでは、アルゲリッチ審査員脱退事件で話題になった東欧の異端児イーヴォ・ポゴレリチ もダン・タイ・ソン以上に大きな話題になったと言っても過言ではありませんでした。

1985年第11回ショパンコンクールでこれもほぼ満場一致で優勝した スタニスラフ・ブーニンも その美しく斬新で想像力豊かなショパンを聴かせて我が国では大変な人気を勝ち取り、一時はブーニン 現象(またはブーニンシンドローム)という言葉さえ生まれたほどです。

1990年第12回ショパンコンクールではショパンコンクール史上初の1位なしとなりました。 第2位はアメリカのケヴィン・ケナーで、確かな輪郭と質感を持った美音と磨き抜かれたテクニックで極めて完成度の高い演奏をする逸材で、 個人的には優勝してもよかったと考えています。第3位には日本の横山幸雄が入賞しました。 日本人の上位入賞は1970年の内田光子の第2位以来20年ぶり2度目の快挙でした。彼の演奏の特徴は一言で言えば極めて正確な演奏技巧で、 この抜群の技巧を駆使して、特に難曲でその持ち味を発揮するタイプのピアニストです。

1995年第13回ショパンコンクールも前回に引き続き、1位なしとなり、 2位は、ロシアのアレクセイ・スルタノフとフランスのフィリップ・ジュジアノが分け合う形となりましたが、 この回、コンクールの話題を独占したのはスルタノフで、 小柄な体格からは想像もできない強靭な打鍵と大轟音、度肝を抜く超絶技巧で唖然とするほど見事な演奏で、 その優れてユニークな演奏により彼が事実上の優勝者と言っても過言ではないほどの強烈なインパクトを与え、 聴衆からの絶大な人気を獲得しました。非常にスケールの大きな逸材で大活躍が期待されましたが、2005年、 脳出血のため、36歳という若さでこの世を去りました。

2000年には15年ぶりに優勝者が誕生しました。中国出身の若手ホープのユンディ・リです。彼はその 並外れた演奏技巧を買われての優勝と言われていますが、ピアノから大変に美しい響きを出す才能と 筋のよい音楽性にも恵まれており、今後が期待されます。

2005年にはポーランド出身で彗星のごとく現れた期待の新星ラファウ・ブレハッチ が満場一致で文句なしの優勝に輝きました。コンクールの副賞のコンチェルト賞、マズルカ賞、ポロネーズ賞を総なめにし、 クリスティアン・ツィマーマンが創設したピアノソナタ賞も受賞し、さらに2位なしという凄まじい結果で、 このことはブレハッチが正真正銘ぶっちぎりの第1位であったことを示しています。 久々に誕生した正統派中の正統派の超付きの逸材で、今後の更なる成長と活躍が最も期待される若手ピアニストの1人です。

2010年第16回ショパンコンクールで優勝したロシア出身の女流ピアニストユリアンナ・アヴデーエワは、女流としての優勝は1965年のマルタ・アルゲリッチ以来、 45年ぶりの快挙です。優勝当時は反対派も多かったですが、その後の活躍ぶりは素晴らしく、審査が決して間違っていなかったことが徐々に示されつつあります。

2015年第17回ショパンコンクールでは、韓国出身のチョ・ソンジンが優勝しました。 アジア勢の優勝は1980年のダン・タイ・ソン、2000年のユンディ・リ以来3度目となります。 しかしこの回のショパンコンクールでは個人的には第2位のシャルル・リシャール・アムラン(カナダ)と第4位のエリック・ルー(アメリカ)に惹かれました。

今後、ショパンコンクールの歴代入賞者たちがどのような活躍を見せてくれるか、楽しみです。

ショパンコンクール以外からもショパン弾きの名ピアニストは数多く誕生していますが、中でも NHK趣味百科「ショパンを弾く」の講師を務めて、我が国で一躍有名になったフランス人のシプリアン・カツァリスは、ショパンの難曲をあっさりと弾いてしまうものすごい演奏技巧と 独特の感性を持った逸材です。またロシア生まれで、ブーニンと並び称された神童エフゲニー・キーシンも、12歳でショパンのピアノ協奏曲 を演奏してその異常な演奏能力を世界中に知らしめるなど、天才少年としての伝説を産み出してショパン演奏の評価を高め、今では若き巨匠の道を確実に歩んでいます。

その他の注目すべきショパン弾き
ニコライ・ルガンスキー(ロシア)
ラン・ラン(中国)
レイフ・オヴェ・アンスネス(ノルウェー)
ユジャ・ワン(中国)

初稿:2002年10月
第2稿:2016年2月13日

〜その他の一流ピアニスト、巨匠たち〜

一方、ショパンから敢えて距離を保ち、他の作曲家の作品の演奏を中心に活躍したピアニストも大勢 います。
故人では、質実剛健、ゆるぎない構成のベートーヴェン演奏で絶対的な評価を得たウィルヘルム・ バックハウス、ヒューマンな温もりで包み込む演奏が魅力的なウィルヘルム・ケンプ、実直なベートーヴェン 演奏で評価を高めたクラウディオ・アラウ、鋼鉄のタッチ、正確無比な演奏技巧の豪腕ピアニスト、 エミール・ ギレリスといったところが、わずかにショパン演奏の録音は残るものの、いずれもベートーヴェンを 中心としたドイツ古典派のレパートリーで、それぞれ個性溢れる演奏を聴かせて、世界に君臨した「巨匠」でした。
また、カナダ生まれの天才異端児グレン・グールドも、そのユニークな演奏と数々の伝説で一世を風靡した 類稀な個性の持ち主でした。
ニュアンスに富んだ美しい演奏を聞かせてくれる巨匠アルフレート・ブレンデルも、その豊富な録音、キャリアの割に、全くショパンを弾かないのが不思議な ピアニストですが、本人によればショパンを演奏するつもりはないとのことで、何とも残念です。

補足:
上記のピアニストはいずれもいわゆる「ショパン弾き」ではありませんが、誤解を与える記述になってしまっているとの 指摘がありましたので補足説明をしておきます。 例えば、バックハウスは1920年代後半にモノーラル録音でショパンのエチュードOp.10、25全曲録音を行っています。 またケンプは、ピアノソナタ第2番、第3番、幻想ポロネーズ、幻想即興曲などのレコーディングがありますし、 アラウは、ショパンの主要作品のほとんどをフィリップスに録音しており、現在でも入手可能なものが多いです。 またギレリスには、ピアノソナタ第3番、ポロネーズ数曲の録音、グールドにはピアノソナタ第3番などの録音があります。 また、ブレンデルは、1960年代頃にポロネーズ数曲を録音していますが、それ以後、心境の変化がありショパンから距離を 取る決心をしたのだそうです。このように後にショパンを弾かなくなった ピアニストでも「全く弾かない」というわけではなく、一部例外もあります。

2005/12/10 補足加筆

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