ショパンとは? | ||
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ここでは、ショパンのピアノ曲をほとんど知らない、または全然知らない、 興味はあるけれど、初めに何を聴いたらよいか分からない、何かきっかけが ほしい、という方のために、入門用のお薦めCDを紹介します。
ショパン名曲集 (ピアノ=アシュケナージ) ショパン弾きとして世界的に名高いアシュケナージが、ショパンのタイトル付きの名曲を弾いています。 きれいな音で誰にでも分かりやすく丁寧に弾いてくれます。ショパンの入門編の名曲集のファースト・チョイスとして最適です。
ショパン名曲集 (ピアノ=ブーニン) 1985年のショパンコンクールで文句なしの優勝を勝ち取った世紀の天才ブーニンが、ショパンの名曲を弾いてくれます。 完璧なテクニックと想像力溢れる個性豊かな彼のショパン演奏には、多くの聴き手を惹きつけて放さない魅力があります。
詳しくはショパン伝記紹介コーナー
決定版・ショパンの生涯
大作曲家シリーズ2「ショパン」
カラー版作曲家の生涯・ショパン
贋作ショパンの手紙―デルフィナ・ポトツカへ宛てたショパンの"手紙"に関する抗争
ショパンを解く!―現代作曲家の熱きまなざし
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ショパンはどんな作曲家だったのか?作曲家ショパンの名前は誰でも聞いたことがあると思いますが、実際どんな人だったのか、どんな曲を 書いたのか、という質問に答えられる人は案外少ないのではないかと思います。 学校の音楽の授業では「ピアノの詩人」と教わったけど、「ピアノの魔術師・リスト」とどこがどう違うのか、 どこがどう「詩人」なのか?ショパンは一言で言えばどんな作曲家なのか?そんな皆様の疑問に答えるべくこのコーナーを設けました。
キーワードは
@ピアノ曲の作曲 の4つです。これがショパンの音楽の根本です。 それではこれらのキーワードについて順を追って説明していきます。 ちょっと欲張ってやや高度な内容も盛り込みましたが、これさえ知っていれば、みなさんは 立派は「ショパン通」です。
@ピアノ曲の作曲…ショパンはピアノに特別な思いを抱いていたピアノ曲の作曲と言っても、ハイドンもモーツァルトもベートーヴェンもシューベルトも みーんなやっているでしょう、どこがどう違うの?と思う方もいるかもしれないのですが、彼らは交響曲や 管弦楽曲、室内楽曲なども数多く作曲しており、ピアノ曲はその中の一部でしかないんです。 しかし、ショパンの場合、その全作品のほとんどがピアノ曲なのです。これほど、ピアノという楽器に 終生こだわり、ピアノという楽器の魅力、可能性を極限まで追究した作曲家は、彼以外に 誰もいないのです。 子供の頃のショパンは、ピアノの音を聴いただけで涙を流してしまう少年だったそうです。 ピアノという楽器はショパンにとって他の楽器とは違う特別な存在であったわけです。 僕はピアノというのはそもそもそれ自体悲しい響きを持つ楽器だと個人的には考えていますが、 ショパンはピアノという楽器の音色にまず惹かれたのだそうです。 確かにピアノの鍵盤は一度押さえるとあとはダンパーペダルを駆使しても、減衰するだけで 二度と同じ音量、音色には戻らず儚くも消えていきますし、 やや乱暴な例えではありますが、日本でいうところの「無常」という概念にも通じるものがあると個人的には考えています。 そのようなピアノの純粋で切ない音色はそれ自体が人の涙を誘う極めて魅力的なものです。 現代ピアノの起源は、バロック時代に弦をひっかくスタイルの鍵盤楽器チェンバロにさかのぼりますが、 チェンバロは弦をひっかくことにより音を発生させるというメカニズムの都合上、 音量のダイナミクスを生むことが不可能な構造になっています。 しかしそのチェンバロから派生してハンマーで弦を打ち、その強度によってピアノからフォルテまで 幅広いダイナミクスをつけることができる表現力豊かな鍵盤楽器として、「ピアノフォルテ」が生まれ、 それが徐々に「ピアノ」という呼称で呼ばれ、発展してきたという経緯があります。 ショパンの生まれ育った時代はその「ピアノ」の完成の途上にあり、 ショパンの時代に88鍵の現在のピアノの原型がほぼ完成しました。 ショパンはその当時の最新ピアノの持つ極めて多彩で豊かな表現力に取りつかれ、 多くの人の胸を打つ感動的な作品を数多く生み出しました。 ピアノと言えばショパンというのは反論する方も多いかと思いますが、 そのように考えるピアノ好きの方も多くいることは確かな事実です。 そしてショパンと言えばピアノ、という言葉に異論を唱える人は皆無と思います。 ショパンにとってピアノというのは特別な思い入れのある楽器で、 終生、ピアノにこだわり続け、人一倍敏感な感受性と涙もろい性格とが混然一体となって、 ピアノにおいて数々の感動的な名曲を生み出してきたわけです。 同時代の作曲家の作品と比べると規模は小さめですが、 哀愁漂う抒情的で聴く人の涙を誘う優れた珠玉のピアノ小品を数多く生み出してきたため、 まるでピアノでロマンティックな詩を語るような作風から「ピアノの詩人」と呼ばれているわけです。
Aロマン派時代…哀愁、ロマンに満ちた美しいピアノの旋律の源クラシック音楽の傾向は時代とともに変化していきます。16世紀ルネッサンス時代に長音階・短音階 が生まれ、以後は、大きく、バロック時代→古典派時代→ロマン派時代→近代・現代、という流れの 中でその音楽は変遷を遂げてきました。中世ルネッサンス期を経て、宗教色の強い教会音楽を中心と するバロック時代の音楽は、やがてより秩序だった構成、形式を重んじる古典派音楽へと移り変わり、 交響曲、ソナタ形式等の秩序が生まれ、より均整のとれた音楽へと発展していきます。18世紀終わりには フランス革命等により全欧で自由と平等の思想が燃え上がり、その溢れ出る情熱が芸術全般にも波及し、 クラシック音楽にも大きな影響を及ぼしました。 秩序を重んじる均整の取れた古典派音楽は、やがてロマンと情熱を帯び始め、 文学や絵画、彫刻などの芸術と融合し、人間の内にある思いや情熱を表現するための手段に変わっていきました。 古典派後期に活躍したベートーヴェンは、古典派音楽に端を発しながらも、「田園」交響曲、「月光」ソナタなどで、 その具体的な情景を音で描写したり、具体的な標題を付けるなど、明らかにロマン派音楽を先取りした優れた作品を残しており、 ロマン派への重要な橋渡しの役割を果たしました。 ショパンは、そのようなロマン派初期に生まれた作曲家です。 ショパンは標題を付けることを嫌っていて、多くのタイトルは後の出版社が販売促進を意識して付けたものばかりで、 作品の内容は抽象的ですが、その作品の内容は紛れもないロマン派のもので、 こうした時代の影響を強く受けていると考えられます。 ロマンティックで哀愁に満ちた美しい旋律と多彩なハーモニーは人の心を掴んで離さない魅力がありますし、 時折見せる暗く激しい情熱もショパンの音楽の大きな魅力です。 もしショパンが古典派時代に生まれていたら、教育上そのような制約を受けて、 ショパンの才能が自由に羽ばたく土壌には恵まれず、このような魅力は半減していたに違いないと思います。 ショパンがロマン派時代に生まれたことも、ショパンのピアノ音楽を語る上で大きなポイントになるのが分かると思います。 ショパンがこの時代に生まれたのも、1つの幸運だったと思います。 ※参考までに、それぞれの時代の主な作曲家は次の通りです。
バロック時代:J.S.バッハ、スカルラッティ、ヘンデル
Bポーランド生まれ…民族舞曲マズルカ、ポロネーズに見る誇り高き民族精神古典派音楽が、ドイツ・オーストリアで 全盛期を迎えていた時代のさなかに、彼は東欧の音楽的辺境の地ポーランドで生まれました。 ポーランドは、独特の3拍子のリズムを持つマズルカ、ポロネーズを初めとした民族舞曲の宝庫 でした。彼はそうした土着の音楽が幼い頃から自然に耳に入ってくる環境で育ちました。 ポーランドは軍事的には弱小国で主にロシアの支配下にあり、 国土はロシア、プロシア、オーストリアによって三分割支配されていました。 ポーランド当局・国民は解放を切望し、小さな反乱を繰り返しながらも常に列強に虐げられてきたという歴史があります。 ショパンが20歳になる頃にも、ポーランド解放を切望する風潮が一気に高まりを見せ、 ワルシャワの革命軍がロシア軍への反乱を企て、一触即発の危機にありました。 ショパンは祖国ポーランドを愛し、一時期は革命軍にも加わりたいとまで思っていたようですが、 病弱で体が弱かったショパンはそれを断念し、危機的状況のポーランドから出国することを周囲から奨められるようになります。 当時は一時的な出国と考えていたのかもしれませんが、ショパン自身はこの時、「一度ここを出ると、二度とここには 帰ってこられないような予感がする」と漠然と思ったそうです。 そしてショパンは目的地もはっきりしないままポーランドを後にしましたが、最終的にはフランスのパリに定住し、 主にここで後半生を送ることになります。 ショパンは祖国ポーランドを愛しており、パトリオットという代名詞はポーランド初代首相パデレフスキよりも、ショパンにこそ相応しいと 思えるほどで、パリに移り住んだ後も、片時も祖国ポーランドのことを忘れることはなく、 祖国ポーランドを思う気持ちが、意識的にせよ無意識的にせよ、彼の作品に反映されています。 それが顕著なのがマズルカとポロネーズです。これらはともに3拍子系の祖国ポーランドの民族舞曲ですが、 マズルカが農民に伝わる素朴な民族舞曲であるのに対して、ポロネーズは貴族に伝わる堂々としたリズムを特徴とする舞曲です。 しかしマズルカ、ポロネーズだけでなく、ショパンの様々な作品にポーランドの民族舞曲の要素が随所に散りばめられており、 ショパンを演奏する際には、こうしたポーランドの民族精神への理解が必要とされます。 特にマズルカはポーランドで育った人とそうでない人とで演奏に顕著な違いが出るとされ、 ポーランド出身のルービンシュタインやステファンスカなどが弾くマズルカが「お国もの」のブランドとして 他のピアニストの演奏とは区別して崇められるのは、こうした理由によります。 また、ポーランドに限らずスラブ系民族の人は、独特の感受性を持ち、情にもろいと言われています。 日本語で「悲しみ」という訳語に最も近いと言われるポーランド語のジャル(zal)という単語には、 悲しみの他に、メランコリー、哀愁、恍惚、憧れといった様々なニュアンスが含まれており、純粋に一対一に 対応する日本語がないと言われています。悲しみの中に、憂愁、メランコリーといった情緒に浸りながら そこに一抹の甘美な感傷に酔って恍惚と物思いにふけっていられるという独特の感性のあり方は、彼の音楽の根底に宿る 大きな特徴と言えるでしょう。いわば「もののあわれ」を肌で感じるスラブ人独特の感性が、彼の作品の中に 色濃く反映されているわけです。
C39年の短い生涯…持病の肺結核との闘い、死と隣り合わせの不幸で陰鬱な生涯ショパンを初めとして、天才作曲家の多くは長生きしていません。シューベルト31歳、モーツァルト35歳、 メンデルスゾーン38歳、シューマン46歳等々。 ショパンは生来病弱な体質で、17歳の時に2つ年下の最愛の妹エミリアを結核で亡くしてから、自分の 恵まれない健康を意識し始め、将来に対し漠然とした絶望感を持つようになりました。 彼の人生そのものが不幸を絵に描いたような生涯であったことは誰もが知るところです。 初恋の人、グラドコフスカへの実らなかった片想い、生涯で彼が最も愛した女性と思われるマリア・ヴォジンスカ との間で交わされた婚約の破棄、自由奔放な男装の女流作家ジョルジュ・サンドとの謎に満ちたスキャンダラスな 恋、破局、等々、彼は長期的で安定した幸せを手に入れることの出来ない運命にあったと言えます。 しかし、そのような不幸な人生であったからこそ、これだけインスピレーションに富んだ作品を残せた という見方もできます。彼が幸せに彩られたバラ色の人生を歩んだとしたら、これだけ美しく涙の味のする 素晴らしい作品が残せたでしょうか。天才作曲家は、後の世に珠玉の名曲の数々を生み出すことを命に受け、 己の人生の幸せを犠牲にするという運命を背負ってこの世に生まれ出るのだ、と考えると、 ショパンが残してくれた数々の名曲が万人に愛されていることこそが、彼の生きた証であり、ひいては 彼の本当の幸せだったのではないか、とも思えてくるのです。
ここまで読んでくださったみなさん、どうもありがとうございました。
もう一度復習、キーワードは、
@ピアノ曲の作曲
の4つです。これさえ覚えれば、みなさんもショパン通です。
あとはどんどん曲を聴きまくりましょう。
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