ダン・タイ・ソン(Dang Thai Son, 1958〜, ベトナム)
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呼称:ショパンに愛されたピアニスト

東洋人初のショパンコンクール優勝者
有名な「紙鍵盤」伝説
ショパンを弾くために生まれたかのような、文字通り「ショパン弾き」
玉を転がすような美しい音色、繊細で細やかなニュアンスに満ちた演奏
やや小粒で優等生的との指摘も

実績
ダン・タイ・ソンは、1980年第10回ショパン国際ピアノコンクールで、東洋人初の優勝者に輝き、ポロネーズ賞、マズルカ賞、 コンチェルト賞も合わせて受賞するなど、新世代のショパン弾きとして多くの注目を集めた逸材です。 このコンクールでは、旧ユーゴスラヴィア出身のイーヴォ・ポゴレリチも彼以上に多くの注目を集めましたが(これはアルゲリッチ 審査員脱退事件も大きな影響を与えていたようです)、優等生代表のダン・タイ・ソンと異端児ポゴレリチのような、タイプ的には 全く異なった2人のピアニストに優劣をつけるのは非常に難しいことだと思います。第10回ショパンコンクールでは、このような、 コンクールの持つ根本的な問題、意義について改めて考えさせられる結果となりました。

生い立ち、伝説
ダン・タイ・ソンは、ベトナムの首都ハノイの出身ですが、彼がピアノ学習を続けていた当時、ベトナムは、戦渦の只中に ありました(ベトナム戦争)。戦時中、防空壕での生活を続けることを余儀なくされるなど、ピアノを練習できる状況ではなくなったときに、 紙の上にピアノの鍵盤の絵を描いて、その上でひたすら指を動かしていた、という有名な「紙鍵盤」伝説もあります。 1977年からは、祖国ベトナムを離れて、遠く旧ソ連の名門モスクワ音楽院に留学することになりますが、ピアノの道を志す人に とって恵まれない環境であったにも かかわらず、大きな夢を持ち続けながら、ピアノに向かう気持ちを持続させたこと、そして最終的には、ショパンコンクールで 東洋人初の優勝に輝いたことは、世界中の多くの人を心を動かす感動の伝説として語り継がれています。

レパートリー
ダン・タイ・ソンは、ショパンコンクール優勝者の中でも、ショパンの音楽にとりわけ大きな愛着とこだわりを持ち続ける、 文字通り「ショパン弾き」です。ショパンの全作品という限られたレパートリーの中で、ピアニストとしての力量を世に問う のは容易なことではありませんが、生まれながらのショパン弾きであるダン・タイ・ソンにとって、これは極めて自然な 行為であるようにも感じられます。しかし、最近になって、 ラヴェル、ドビュッシー等のフランス近代音楽にも意欲的な取り組みを示すようになってきているようです。

演奏の特徴
古今東西の世界的ピアニストの中には、奇抜な演奏効果を狙うピアニストや豪快なテクニックと腕力でピアノを鳴らし切るヴィルトゥオーゾタイプ のピアニストなど、様々な個性を持つピアニストがいますが、その中にあって、ダン・タイ・ソンは、非常に目立たない地味な存在 と言えます。というのは、ダン・タイ・ソンは、作品の本質に無関係な誇張を嫌い、必要以上の効果を狙った外面的な華やかさ には全く無関心で、作品が本来備え持っている本質的な「美」に光を当て、その「美」を真摯な姿勢で追求していく演奏をするから です。その結果、彼は、玉を転がすような非常に美しく自然な音色で、ショパンの音楽の持つ自然な流れを大切にしながら極めてオーソドックスに 演奏しますが、その中に込められた細やかなニュアンスは非常に繊細なもので、そこに漂う気品に富んだ美しさは比類のないものです。 このような演奏は、一聴して聴く人を惹きつける力が弱く目立たないためか、過小評価されてしまいがちですが、ショパンの音楽の 持つ本当の美しさを心の底から理解して僕たちに伝えてくれる数少ないピアニストとして、彼の存在は貴重なものと言えると思います。 現在、ダン・タイ・ソンは、ショパン全作品録音を進行中の模様ですが、全集が完成した暁には、数ある「ショパン全集」の中でも、 不滅の価値を持つ一組として輝き続けるものと思います。

参考図書:「ショパンに愛されたピアニスト〜ダン・タイ・ソン物語」

ダン・タイ・ソン演奏のショパンCD

ダン・タイ・ソンのショパン

ポロネーズ全曲(2枚組)

バラード全曲、ボレロ、タランテラ

ノクターン全集(2枚組)

ピアノソナタ第1番〜第3番

ワルツ全19曲

即興曲&スケルツォ全曲

前奏曲全曲、舟歌

ピアノ協奏曲第1番&第2番

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