管理人のピアノ練習奮闘記〜第3話〜革命のエチュード | ||
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ショパン:エチュード ハ短調Op.10-12「革命」:体感難易度 8.5/10, 個人的思い入れ:9/10
管理人のピアノ練習奮闘記、第2弾は、皆さんもよく知っている名曲「革命のエチュード」です。 「ああ、あの激しくて難しそうな曲でしょう?弾けたらいいなあと思うけど、私には無理」という声が 聞こえてきそうですが、「無理」と思い込んで手をつけなければ、どんなに簡単な曲も弾けるようにはならないのは 当然のことです。「革命のエチュード」は「憧れの曲」として 「英雄ポロネーズ」や「幻想即興曲」とともに挙げられることの多い名曲で、 難曲には違いないのですが、実際に弾いてみると、難易度は極上というほどではなく、 特に左手の速い動きが得意な人であれば、意外にあっさりと弾けてしまうことも多いと思います。 決して敬遠するような、とてつもない難曲ではないことを、まず初めに強調したいと思います。 皆さんも知っているように、ショパンはポーランド生まれですが、ポーランドは周囲のロシア、プロシア(ドイツ)、 オーストリアに国土を3分割支配されていて、絶えず独立を夢見ていましたが、決してそれが叶わず常に列強の餌食になり 虐げられている悲運な弱小国でした。ショパンが20歳になる頃、ポーランドはその状況を何とか脱しようという気運が高まり、 ロシア軍に対して反乱を企て、一触即発の状態にありました。そのような国内情勢のため、 周囲のすすめでショパンは音楽的使命を背負って、後ろ髪を引かれるような思いで祖国ポーランドを後にしました。 その後、ほどなくしてポーランド軍(革命軍)はロシア軍に攻めかかりましたが、 ポーランド軍(革命軍)はロシア軍によって鎮圧され、ポーランドの首都ワルシャワがロシア軍に占領され、 陥落しました。ショパンは旅の途上、シュトゥットガルトでその知らせを聞き、絶望に陥りました。 祖国にいる家族、友人、そして思いを募らせていた女性(コンスタンツィア・グワトコフスカ)のことを思うと、 ショパンは居ても立ってもいられず、その時の自分の思いを書きなぐりました。 それは「シュトゥットガルトの手記」として現在も残っており、そこには「ピアノに向かって荒れ狂う」 という一文もあるようです。 そうしてできたのが、名曲「革命のエチュード」だという説が一般的には流れていて、 皆さんの中にはそのような話を聞いたことがある人もいると思いますが、実はこの話には何の根拠もないようです。 この時期に作曲した作品であること、そしてその激しく悲痛な曲調がいかにもその状況を想起させることから、 このような話が作り上げられた、いわゆる作り話の域を出ないようです。 しかし僕たちが想像するのは自由ですので、ショパンが怒りを鍵盤に叩きつけているうちにできた、と考えて、 ショパンの気持ちになって、怒りをピアノの鍵盤に叩きつけるような弾き方は当然許されると思います。 僕がショパンの「革命のエチュード」と出会ったのは小学校4年生の時で、当時、家にあった ドイツ・グラモフォンのLPレコード、ピアニストはスヴャトスラフ・リヒテルでした。 非常に速いテンポで(演奏時間は2分20秒弱です)恐ろしい難曲に聴こえましたが、 これはリヒテルのテクニックが突出しているからで、 他のピアニストはもう少し遅いテンポで弾きます。 頭を金づちで殴られたかのような大きな衝撃でした。 僕のピアノ人生で一番の衝撃は何と言っても「英雄ポロネーズ」でしたが、その次くらいの衝撃で、 この曲も小学生の頃から「憧れの曲」という位置づけになりました。 ピアノの発表会でも、「革命のエチュード」を一度だけ聴いて強い衝撃を受けたことがあり、僕の中では 遠い将来、今度は僕自身が聴く人に衝撃を与えるのだという夢を抱き、それを実現する自分を想像していました。 この曲を着手するきっかけになったのは、僕が中学校2年生の時、 1986年5月〜6月にかけてホロヴィッツのCDでこの「革命のエチュード」を聴いたこと、 そして時期を同じくして、ブーニンのショパンコンクール第1次予選の演奏を聴いたことが大きな刺激になりました。 「管理人のピアノ歴」でも述べたように、この時期はピアノレッスンでベートーヴェンのピアノソナタ「悲愴」に 本格的に取り組んでいて、ホロヴィッツのCDとルドルフ・ゼルキンのLP盤を模範演奏として聴いていたのですが、 そのホロヴィッツのCDに、たまたま「革命のエチュード」も収録されていてよく聴いていました。 またこの年はスタニスラフ・ブーニンが1985年第11回ショパン国際ピアノコンクールで優勝した翌年で、 日本中にブーニン現象(ブーニン・シンドローム)という社会現象が巻き起こっていました。 確か1986年(昭和61年)5月17日の土曜日だったと思いますが、ブーニンのショパンコンクールの特集番組が NHKで放送され、それを録画して何度も繰り返し見ていました。時刻になり番組が切り替わった瞬間、 ピアノに向かったブーニンの姿が突如として現れ、和音を強打して「革命のエチュード」を弾き始める というあまりにも効果的なオープニングで、当時、何も知らずにチャンネルをそのままにしていた人たちにとっては、 「何事か」と一時、テレビの画面に釘付けになったのではないかと思われるほどでした。 革命の演奏中にブーニンの略歴が字幕で流れ、演奏が終わると、放送スタジオに切り替わるという構成でした。 この番組では、革命のエチュード全曲、ワルツ第4番全曲+英雄ポロネーズの一部、 ピアノソナタ第3番〜第4楽章の開始直後から最後まで、ピアノ協奏曲第1番全楽章、 そして授賞式とブーニンのスピーチ、入賞者ガラコンサートで弾いたショパンのマズルカ第5番(Op.7-1)が収められ、 曲を挟みながら、NHKアナウンサーと音楽教育者との対談形式でところどころブーニンへのインタビューの模様も 挿入されていたと記憶しています。 僕はこの番組で「革命のエチュード」を繰り返し聴いているうちに、この曲を弾きたいという 抑えがたい衝動がわき起こってきました。 実は中学校1年生の時、同じクラスでピアノを習っている女子生徒から「革命、弾けちゃったりする?」と 聞かれたことがあり、当然僕は「弾けない」と答えたのですが、そのことも頭をよぎりました。 「よし、これをみんなの前で弾いて、みんなを驚かせてやろう!」と僕は一念発起しました。 と言っても、本気ではなく、いわば「ダメモト」です。 楽譜を入手して譜面台に立てて早速音取りにかかりましたが、どういうわけか譜読みした直後から 左手が高速回転を始め、アレグロ・コン・フォーコが火を吹き始めました。 僕は右利きですが、左手の運動神経が意外に発達しているようで、最初の30分ほどで 序奏から第1主題まではほとんどプロのピアニストと同じくらいのテンポでそれらしく弾けるようになってしまいました。 「これは行ける!」と強気になり、当初の僕の企みは実現しそうな勢いでした。 その後もピアノレッスンで弾いていたツェルニーの練習曲とベートーヴェンのピアノソナタ「悲愴」の練習を続ける傍ら、 革命のエチュードの独習を続け、ついに最後までほぼ完全に弾けるようになってしまいました。 そして早速その企みが実現するチャンスがやってきました。 中学校の第1音楽室で音楽の授業があった後、数回に分けてリコーダーの実技テストがあり、 音楽室の隣の小部屋でやっていたのですが、その間、第1音楽室にいた僕は周囲の皆に促されるままにピアノの前に座りました。 こういうとき、周囲の皆に「弾いて」と真っ先に促されるのは、他の誰でもなく必ず僕でした。 僕は渾身の力を込めて、冒頭の和音を強打し、革命のエチュードを弾き始めました。 周囲から湧き起こる驚愕と感嘆の悲鳴、声にならない声、「すごい、革命だ・・・」僕はその皆の反応を一身に受けて、 勝ち誇るがごとく弾き進めていました。いつしか、そこに音楽担当の先生も加わって僕の演奏に耳を傾けていました。 弾き終わると音楽の先生を中心にクラスメートから一斉に盛大な拍手が沸き起こりました。 「ちょっと、こわ〜い」、「すごい、革命、私大好きなの」、「○○君の革命、プロみたい・・・」 そんな声が一斉に上がりました。 「どうやったらそんなに弾けるようになるの?」と羨ましそうに聞いてきた、ピアノ好きの女の子もいました。 僕は「どうだ、みたか、これが俺の実力よ」と心の中で吠えましたが、 表面的には「まあ、みんな、そんなに驚かなくても・・・」と笑顔で答えていました。 そんなわけで、当初の僕の企画は大成功に終わりました。 ちなみに管理人のピアノ歴にも書いたことですが、この中学校2年生の1学期の音楽の成績は「5のA」でした。 評価5には「A」を付けないことになっていたので、僕は何かの間違いかとも思いましたが、おそらくそうではなく、 これは音楽の先生が僕のピアノ演奏に対して驚嘆したことを示す評価だったのだと考えた方がよさそうでした。 しかし当時の僕は今の僕と比べるとやや荒削りな弾き方で勢いに任せて弾くようなところがあったため、 その後も革命のエチュードを弾き込み、完成度を高めていきました。 この曲はきちんと弾こうとすると、それなりに難しい曲です。 冒頭の左手のパッセージは、4音ずつに区切られますが、左手の移動距離が区切りごとに長短を繰り返すため、 「ただ何となく」弾いていると途中で転ぶ可能性があります。しっかりとした意識を持って覚えることが必要です。 このパッセージは同じ音型のまま右手も加わってユニゾンになりますが、考え方は同じです。 第1主題の間の左手の伴奏は上昇する際に1指を超える動きが出てきますが、慣れればただのアルペジオであり易しいです。 しかし第1主題後半に左手の移動が頻繁に現れる部分はそれなりに難しいです。左手で、5-1-4-2-1-2-4-1-の動きを繰り返しながら 半音ずつ下降していく部分です。ここは1指を超えたりくぐったりするのではなく、「瞬間的なポジション移動」で 弾いた方が上手く弾けます。 ハ短調の第1主題分が再び現れますが、その後、変ロ長調で主題が終わった後、 嬰ト短調で音型が変わる部分、ここからが中間部です。ここの左手の動きがこの曲の一番の難所でしょうか。 これは作品解説にも書いたとおりですが、左手の弱い4指と5指が隣り合う半音どうしを弾かなければならないため、 もつれやすいというのが一番の理由です。ここは場合によってはリズム練習も効果がありますが、 僕は普通にゆっくり丹念に弾くことと、特に4指、5指を強く意識して弾くことで精度が上がりました。 それが終わると左手のアルペジオの動きはそれほど難しくないです。 主部の再現はほぼ同じですが、右手のオクターブの旋律に音が加わり変奏となっている分、難易度が上がっています。 この部分は左手と合わせにくい、ぎこちなくなる、どうすればうまく弾けるようになるのか、という質問を受けたことがありますが、 理屈で考えるのではなく、勢いで合わせてしまってよいと思います。 この曲の終結部はやや慣れない音型も登場し、最後の方には隣り合う半音ずつの単位の音型が半音ずつ上昇していく 細かいパッセージがあり、結構もつれやすいため、この部分はここだけを取り出して部分練習するのが良いと思いますし、 僕もそうしていました。 こうして僕はピアノの先生の知らないところでこの曲を自分で弾き込み、完成度を高めていきました。 この時、僕はこの「革命のエチュード」をピアノ発表会で弾くという目標に照準を合わせていました。 ピアノの先生は、僕がピアノの発表会で何を弾きたいかについて毎回、希望を聞いてくれましたが、 僕は意志表示力が弱く、弾きたい曲を自分から言えない質でした。 僕は小学生の頃からショパンに強く惹かれ、他の作曲家の作品とは違うものを感じていたため、 ピアノの発表会でも当然ショパンの曲が弾きたかったのですが、それを言うと「今の○○君にはまだ早いと思う」と言われるのではないかと恐れ、 「ショパンの曲が弾きたい」という正直な希望を伝えたことは一度もなく、選曲は全て先生に任せてそれに従うだけでした。 その必然的な結果というべきか、僕は中学校1年生までの発表会でショパンの曲を弾いたことは一度もありませんでした。 いやそれどころか、ショパンの曲すら1曲も弾いたことはありませんでした。 しかしこの時は違いました。 僕は「管理人のピアノ歴」でも述べたように中学校2年生になってからピアノの上達に目覚め、練習の鬼と化し、 ベートーヴェンの「悲愴」ソナタ、軍隊ポロネーズ、革命のエチュード、幻想即興曲、ベートーヴェンの「月光」ソナタ、 小犬のワルツ、ワルツ第7番Op.64-2、華麗なる大円舞曲Op.18など、 多くの難曲を含む様々な作品に取り組み、それらのほとんどの曲を一応最後まで弾き通せるようになっていました。 言ってみれば、僕は大抵の曲なら却下されないという自信がありました。 僕はいつの日か「革命のエチュード」をピアノの発表会で弾いて、聴く人に強い衝撃を与えたいという野望を抱いていたのは 他のページでも述べた通りですが、この時点で僕は既に「革命のエチュード」を大の得意の持ち曲にしていて 今回の発表会では、その長年抱いてきた野望を実現したいと強く思っていたさなかでした。 この時の僕は既に自信の塊だったため、ピアノの先生にも「実は革命のエチュードを隠れて練習していまして、 これを今回の発表会では弾きたいです」と臆することなくはっきりと希望を伝え、先生の前で1曲通して弾きました。 「もうそんなに弾けるんだ。いつの間に・・・」と先生は驚いたようでした。即OKが出たのは言うまでもありません。 この年の発表会では「革命のエチュード」と合わせて「木枯らしのエチュード」も同時に弾くことになったということは 管理人のピアノ歴でも前述した通りですが、 実はその発表会はやや遠方の場所でゲストとして演奏したもので、 毎年出ていたピアノ教室の発表会では、木枯らしのエチュードは弾かず、この「革命のエチュード」のみでした。 結果は本番でも大成功で、小学生の頃、僕がこのピアノ発表会で「革命のエチュード」を聴いたときの衝撃を、 僕自身が聴く人に与えるという夢をこのとき実現することができました。 このときは既に「取り」だったので、楽屋裏から客席に戻ると全てのプログラムが終わったということで 会場は既にざわついて会場を後にする人もちらほらいましたが、 その中で僕は見知らぬ女性に声をかけられ、「とてもお上手でしたね〜私、革命のエチュードが大好きなんです。 だからこのビデオに録画させてもらいました。とっても素晴らしい演奏、ありがとうございました。」と言われました。 恥ずかしかったですが、見ず知らずの他人の僕の演奏を録画してくれるなんて、まるで本物のピアニストになったような気分で 非常に嬉しかったのを覚えています。 このように、革命のエチュードは僕のピアノの思い出と切っても切り離せない1曲です。 僕はその後も事あるごとにこの曲を弾き続け、今でも大切なレパートリーになっています。 難曲ばかり弾き続けてきた僕にとって、既に革命のエチュードを腕自慢のネタにしていたのは遠い過去の出来事に なってしまいましたが、僕のピアノ人生で難曲第1号がこの曲だったこともあり、 特別な思い入れがあります。もちろん楽譜は隅々まで覚えていて、楽譜を書き起こせと言われたら 簡単にできてしまうほどの完璧な長期記憶になっていますし、そのまま墓場まで持って行けそうなくらいです。 それはともかく、この曲を弾けばインパクトは絶大で、 この曲を一定以上のレベルで弾けば、それを間近で見る人、聴く人はこぞって驚愕します。 それは僕自身が実証済みです。 しかも難曲とは言っても、実際に弾いてみるととてつもない難しさではない、 言ってみれば努力が報われやすく、練習量と成果の関係で言えば抜群に効率のよい曲ではないかと思います。 余談ですが、中2時代、ほぼ同じメンバーに対して、幻想即興曲、ベートーヴェンの悲愴ソナタ第1楽章なども試みましたが、 革命のエチュードはその比ではありませんでした。 この曲が弾きたいけど、弾けるわけがないと諦めている方、ちょっとだまされたと思って、 僕の中学校2年生の時のように、試しに30分から1時間ほど、この曲の最初の部分を弾いてみてはいかがでしょうか? おお、意外にいけそうじゃん、と思った方は、大いに望みありです。 まだ手が届かなさそうと思った方も、決して諦める必要はないと思います。 また上達してしばらくしたら、この曲に取り掛かってみて下さい。きっとうまく弾けるようになる日が来ると思います。 この曲にまつわる個人的な思い出話にもお付き合いいただき、ありがとうございました。
初稿:2002年10月
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