ショパン・24の前奏曲(プレリュード)CD聴き比べ
おすすめ度・第1位:マウリツィオ・ポリーニ(p), DG盤, 1974年録音
おすすめ度・第2位:エフゲニー・キーシン(p), RCA盤, 1998年録音
おすすめ度・第2位:ニコライ・ルガンスキー(p), エラート盤, 2001年録音
1.所有音源
ピアニスト | レーベル | 録音 | ランキング |
アシュケナージ | 英デッカ(ロンドン) | 1978年 | ★★★★ |
ポリーニ | ドイツ・グラモフォン | 1974年 | ★★★★★ |
ルービンシュタイン | RCA | 1946年 | ★★★ |
コルトー | EMI | 1933年 | ★★ |
アルゲリッチ | ドイツ・グラモフォン | 1975年 | ★★★★ |
ポゴレリチ | ドイツ・グラモフォン | 1989年 | ★★★ |
アラウ | フィリップス | 1973年 | ★★★ |
キーシン | RCA | 1998年 | ★★★★★ |
ピリス | ドイツ・グラモフォン | 1992年 | ★★★★ |
ルガンスキー | エラート | 2001年 | ★★★★★ |
2.短評/感想
聴き比べ履歴
僕の中で長年王座の地位に君臨したポリーニ盤に匹敵する演奏が発見できました。
ホームページを運営することによって得られる情報をもとに、キーシン盤、ルガンスキー盤を聴き、
新鮮な衝撃を受けました。CD投票コーナーに協力していただいた皆様に感謝、です!
ヴラディーミル・アシュケナージ(p), ロンドン盤, 1978年録音 |
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24の前奏曲全曲盤としては最もオーソドックスなライブラリです。中学生の頃、ピアノの先生の薦めで
聴いた演奏で、私の中で流れる24の前奏曲のデフォルトはこの演奏です。
磨きぬかれた美しく輝かしい音色で、一曲一曲非常に丁寧に弾き込まれており、その繊細な抒情性には
思わずホロリときてしまうでしょう。特に穏やかな長調の作品では、微妙な
色調の変化をきめ細かく表現しており、その比類のない美しさは特筆すべきものです。
しかし、彼の演奏技術の最大の弱点である、レガート奏法を必要とする速いパッセージの作品
(特に第3番、第16番、第19番)では、音と音がプツプツ途切れがちなパッセージが多く、
彼にしては技術的にあまり弾けてないです。
そういったものが気になりだすと、集中力を削がれてしまいます。そうしたものが原因で
激情ほとばしる短調の作品が本来備え持っている凝縮されたエネルギーが発散してしまう傾向があるのは
やむを得ないのかな、と思います。24曲全曲通して聴いたときに緊迫感が足りない感じがし、
散漫で中途半端な印象が残ります。
それをどう判断するかは個人の好みの問題と言えます。
(なお、この前奏曲集は何テイクか、とりなおしをしているようです。第8番、第16番、第24番のみ、
他の作品と音質が若干異なります。それが一貫性を感じさせない原因なのかもしれないです。)
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マウリツィオ・ポリーニ(p), DG盤, 1974年録音<<特選>> |
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エチュードに引き続きDGへのショパン録音の第2弾となったもの。しかし、エチュードの時とは違い、
表現に気負いがあまりなく、極めて流麗かつ自然に弾き進められていきます。穏やかな長調の作品の
演奏スタイルについて
「何てイン・テンポで無表情なんだ」と憤る人すらいますが、そんな方にはもう一度細部までよく聴く
ことを薦めます。確かに一聴すると、作品を客体として突き放しておいてそこに技巧の限りを尽くした
なんとも無責任な演奏という印象はあるのかもしれないのですが、僕はそうは思いません。
ほとんどの人が彼のテンポ・ルバートに気がつかないのは、それが最も理に叶ったやり方で行われているためなのだと
思います。聴く人は無意識のうちに彼の音楽に乗せられている、いわば「洗脳」されてしまっているのだ
という事実に本人自ら気がついていないのです。逆に言うと、それだけポリーニの音の論理による説得力が抜きん出ているという
ことでもあります。
そして激情ほとばしる短調の作品は、エチュードで見せたような凝縮された凄まじい気力と緊迫感がみなぎり、
聴く人を飽きさせません。40分がこれほど短く感じられる「24の前奏曲」には僕自身、残念ながら
まだ出会っていないです。
知・情・技が高い次元で三位一体となった圧倒的名演奏です。
但し第12番、第20番などに通常の楽譜と違った音を弾いている箇所があるのが気になりますが、これは
現在、多くの人が「記譜ミス」と考えているショパンの自筆譜に忠実に従ったもので、
ここからもポリーニの真摯な演奏姿勢が伺えます。
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アルトゥール・ルービンシュタイン(p), RCA盤, 1946年録音 |
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ルービンシュタインの「ステレオ録音によるショパン作品全集」には、この「24の前奏曲」は含まれていない
(実は録音もしていない)ので、これが彼の録音した唯一の「24の前奏曲集」ということになります。
録音が悪すぎるため(保存状態もボロボロのよう)、演奏そのものに問題がありそうに聞こえますが、
案外そうでもなく、ショパンの言わんとしていることが生き生きと伝わってくる演奏で、晩年の演奏には
あまり聴かれなくなった躍動感と抑揚・振幅の広さがあって、しかも長調の作品で聴かせる絶妙の
テンポルバートを聴くと、この人の才能に脱帽せざるを得ないです。ステレオ録音で再録音してくれなかったのが
何とも残念です。(エチュードのように「技術的に不可能」という訳ではなさそうなのに何故なのだろう→理由を
ご存知の方いましたら是非教えて下さい。)
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マルタ・アルゲリッチ(p), DG盤, 1975年録音 |
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ランキング的には第2位に挙げたかった名演奏。他を圧倒する情熱的で奔放な演奏スタイルでありながら
その説得力は群を抜いています。短調の作品(特に16番、24番)では半ば技術的コントロールを失って疾走します。
信号無視&速度違反で捕まえたくなりますが、ここまで豪快に飛ばし暴走してくれれば、もう僕は何も文句は言いたくないです。
ショパンの激情ではなく、ここは、まさにアルゲリッチの激怒であり、もう、これは完全にイっちゃってます。
しかし、長調の作品の旋律の流れが実に自然で美しいです。テンポもやや極端に揺らしすぎですが、
その方向性は本来あるべき方向と合っているため、少々極端なくらいの方が、聞き手には分かりやすいでしょう。
その意味で、これは異常な説得力を持ちうる稀有の名演となりました。曲と曲の「間」の取り方も絶妙で、
24曲通して聴いたとき、必然的な流れとして聞こえるのもこの演奏の得難いところです。
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クラウディオ・アラウ(p), フィリップス盤, 1973年録音 |
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ベートーヴェン弾きとして評価の高かったアラウは、ショパンの作品も数多く録音しています。
硬質の音色、遅めのテンポで一つ一つの音を大切にかみしめながら弾き進めていく演奏です。
地味でありながらも地に足がついた滋味溢れるその演奏からは、ドイツ的ロマンティシズムの香りが漂います。
腰を落ち着けて真摯に作品に対峙するアラウの演奏は、ときにゴツゴツした肌触りを感じさせ、
流麗さに欠くフレーズも登場しますが、その無骨とも思える一つ一つの音は、いぶし銀のような
渋い光を放ち、深い味わいと余韻を残します。
ショパンの本来の演奏スタイルとは異なる気もしますが、これも一つの行き方として十分あり得る
演奏でしょう。
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エフゲニー・キーシン(p), RCA盤, 1999年録音 <<推薦>> |
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僕の中で長年不動の地位を保ってきたポリーニの名盤の存在感が揺らぐように感じた衝撃の演奏です。
神童、天才少年の名を欲しいままにしてきた彼は、他の何物をも寄せつけない21世紀の無敵の大ピアニストへと
変貌を遂げつつあるとこれを聴いて感じました。その圧倒的に精密な演奏技巧と従来では考えられなかったダイナミズムばかりでなく、
その的確な表現力と高度な音楽性は聴く人を釘付けにします。
特に第13番や第17番のような、ピアニストの音楽性が一瞬にして分かってしまう恐ろしい試金石がちりばめられた
作品において、彼のアゴーギクとデュナーミクは実に正確で狂いがないことには驚きあきれるばかりでした。
思わず「そうなんだよなあ、俺もそう弾くんだよなあ。」と唸ってしまったほどです(こんなことは僕には滅多にないこと)。
そうかと思えば、第12番、第16番、第24番などの技術的に難しい劇的な作品では、並外れて正確な演奏技巧がほとばしり
炸裂し、24の前奏曲を見事に引き締めています。そうして築き上げられた緊迫したドラマと、その比類のないスケールの大きな
表現力には絶句します。
ショパンの24の前奏曲の各曲の性格をこれほど克明に描き分けながら、大きなドラマを作り上げていく
スリリングにして圧倒的完成度を誇る演奏を僕は聴いたことがありません。
既に若き巨匠への道を突き進んでいる彼の今後が非常に楽しみとなってきました。
ポリーニ盤危うし、と感じました。
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マリア・ジョアオ・ピリス(p), DG盤, 1992年録音 |
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ピリス演奏のショパンの24の前奏曲には、もう一種類、75年録音のエラート盤がありますが、こちらは、92年録音
のDG盤です。「ショパンの24の前奏曲というのは、どんな曲ですか」と聞かれたときに、真っ先にお薦めしたい、
この曲の、最もオーソドックスなライブラリ向きの演奏です。
彼女独特の譜読みの間違いを除けば、一音一音を非常に丁寧に扱った演奏で、詩的な小品では、実に細やかなニュアンスを
そこに滲ませながら、情緒纏綿と歌っていますし、技巧的に高度な作品でも、常に冷静なテンポ設定で、決して
破綻をきたさずに、細部にいたるまでくっきりと弾ききっており、バランスの取れた、完成度の高い仕上がりと
なっています。こうした演奏は、盲目的な支持者となる人を獲得するのは難しそうですが、また、生理的に
拒否反応を示す人も、きわめて少ない演奏と言えそうです。
老若男女誰にでも受け入れられる万人向けの好演奏と言えると思います。
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ニコライ・ルガンスキー(p), エラート盤, 2001年録音<<推薦>> |
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1994年チャイコフスキー国際コンクールで最高位(1位なしの2位)を受賞した若き俊英ルガンスキーのショパン演奏は、
99年録音のエチュード全集に引き続き、この2001年録音の「24のプレリュード」が第2弾となりました。
鋭い輪郭を持つシャープな音色、クールで鋭敏かつ現代的な感覚を武器に、ルガンスキーは、
ここでも、24の前奏曲の全輪郭を完全無欠に再現しています。第13番、第17番などの、ピアニストの音楽性の試金石
と呼べる作品でも、クールでありながら、高度の音楽性で、表現のツボはきちんと押さえられていて、感心させられる
一方、第16番、第24番などの技術的に難しい作品も、技巧的な難所を深い打鍵で緻密にくっきりと弾ききっており、
全く文句のつけようがないほどの素晴らしい完成度を示しています。
こうした、鉄壁の技術のコントロールを得て、浮かび上がるショパン像は、ポリーニの演奏の特色であるパーフェクショニズム
に通じるものがあり、ポリーニの演奏と比較しても、全く遜色のない、超絶的にハイ・クオリティの名演奏として、高く評価できます。
エチュード録音で聴かせた類まれな才能が、更なる成長を遂げていると感じさせる名演です。
聴く人の好みによっては、時としてバランスの崩れるキーシン盤よりも高く評価する人もいるのではないか、と
感じました。同年代でありながら、ロシア・ピアニズムの系譜としては、明らかに異なった道を歩んだ、この
2人の才能を、この「24の前奏曲」で聴き比べてみるのも、面白いかもしれません。
なお、このCDは、他にバラード3番、4番、ノクターン8番、13番、18番も収められており、こちらの演奏も、大変
素晴らしく完成度の高い演奏に仕上がっています。
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変更履歴
2003/12/13 ピリス、ルガンスキー追加
「24の前奏曲」聴き比べのポイント
ショパンの「24の前奏曲」は一曲一曲が非常に短く簡潔に書かれていますが、その中に込められた音楽的内容の密度は極めて
濃く、しかもそれぞれの楽想が心に真っ直ぐに入り込んで来ます(晩年の屈折した作品との違い)。これは
ショパンの初期の作品の特徴でもあります。しかもこの作品は一曲一曲魅力的ではあるものの、
独立したものではなく、24曲まとまって初めて一つの完結した作品として意味を持つと僕は考えます。
そこが同じ24曲でも「エチュード」と大きく異なる点です。従って演奏も、その曲と曲の間の繋がりを
考慮する必要があり、必然的に24曲で一つの大きな作品、完成された芸術作品として聴かせる必要が
あります。そのためには
1. 穏やかな長調の作品を心地よく聴かせる歌心、つまり的を射たテンポルバートの才能があること
2. 劇的な短調の作品を迫真の演奏で聴く人に迫るだけの演奏技術と求心力のあること
3. 長調と短調を交互に挟みながら進展するこの小さなドラマを演出できるだけの構成力があること
の3点がとりわけ重要だと思います。
ショパンコンクールでも本曲の場合、任意ではありますが「連続した6曲」を演奏することを
課せられていたのは、この作品のもつこうした音楽的特徴を考慮してのことであると思われます。
そのうち特に僕が重視しているのが、「1」のテンポルバートで、これが間違っている場合、どれだけ
技術的に上手い演奏をしても、聴き比べ対象から除外します(でもさすがに一流ピアニストのものは
どれも間違っていないです)。
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