ショパン・ピアノ協奏曲第1番ホ短調Op.11 CD聴き比べ
おすすめ度・第1位:ツィマーマン(p)、ジュリーニ指揮ロサンゼルスフィルハーモニー管弦楽団
おすすめ度・第2位:ツィマーマン(p)、ツィマーマン指揮ポーランド祝祭管弦楽団
1.所有音源
2.感想・短評
ピアノ協奏曲第1番には特に強い思い入れがあるため、その音源の数は膨大なもので、エアチェックまで含めると
その数は数十点にも及びます。私自身は、この曲はブーニンのショパンコンクールライブで刷り込んだため、この
結果はかなり独断と偏見が入っています。最初にお断りしておきますが、僕の場合、この作品に限らず、ピアノ協奏曲
というジャンルは、再生装置で聴く場合にはその録音の好みが演奏の好みと同じくらい重要な
ポイントになってきます。それでは一つずつ感想を述べていきます。
ブーニン(p), ストルガワ指揮ワルシャワ国立pso(1985年ショパンコンクールライブ) |
ブーニン
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※ブーニンのショパンコンクール優勝を確定的にした本選の演奏
「衝撃のショパンコンクールライヴT」というCDに収められている、ブーニンのショパンコンクール本選の演奏で、
ショパンコンクール優勝を確定的にした圧倒的に美しくもクールなライヴ録音です。
ショパンコンクール本選の異様な雰囲気、緊張感は背後から嫌というほど伝わってきて怖くなりますが、
それにもかかわらず、ブーニンの演奏は、非常に落ち着いていてスケールが大きいです。
ブーニン特有の硬質、シャープで磨き抜かれた音色は冴えに冴えており、各楽想が鋭い輪郭をもって明確に
立ち上がってくる現代感覚のショパン演奏、という印象です。
ブーニンは、どちらかというとミスタッチの多いピアニストだと思いますが、それは練習不足によるものではなく、
偶発的なものだと思います。テクニック自体の完成度(ミスタッチとは別のファクター)は非常に高く、
一音一音が磨き上げられています。
ブーニンは、ショパンコンクール優勝後、86年には初来日し、Aで外山雄三指揮NHK交響楽団とも演奏され、ライヴ盤
としてCD化されており、これもショパンコンクール本選に劣らず優秀な演奏です。
しかし、僕自身は、この作品を覚えたのは、翌年NHKで放送された@の全曲収録の録画ビデオだったのと、
当時の不安定で敏感な感じやすい時期にこの演奏で覚えたということのため、@の録音はいまだに
ベストの一枚に挙げます。一般的評価は高くないのですが、刷り込みというのは恐ろしいもので、
僕はまずこの演奏がこの曲の鑑賞の出発点になっており、これを基準に他のピアニストの演奏を聴いているという状況が
しばらく続きました(ツィマーマンの旧盤に出会うまで)。
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アルゲリッチ(p), アバド指揮ロンドンso(1968年録音) |
アルゲリッチ
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※ショパンコンクール優勝直後の若きアルゲリッチのほとばしる情熱と抜群のテクニック
一般的に言われるベスト盤、定盤の一つです(レコード芸術誌の「名曲名盤シリーズ」等では、第1位が定位置になっているようです)。
当時はまだ若かった才気溢れるアバドとショパンコンクール優勝直後のアルゲリッチの共演ということで、話題を呼んだ録音のようです。
アバド指揮の明快で引き締まった管弦楽伴奏に乗って、若きアルゲリッチは、目も眩むような鮮やかなテクニックで
難曲・ピアノ協奏曲1番を快調に弾き進めていきます。アルゲリッチ特有の激しいテンペラメントは相変わらずですが、
それが表現の恣意性としてではなく、作品のもつ若々しいフレッシュな魅力を引き立てるのに大きく役立っているために、
非常な説得力を持つ演奏に仕上がっているのだと思います。作品の持つ感覚的側面に重きを置いた演奏で、アルゲリッチ自身、
自分の思うがまま、感じるがままに、何のためらいもなくストレートに表現しようという強い意志が感じられます。
但し僕自身の好みを言えば、アルゲリッチの大胆不敵な表現は、この作品の持つ本来の自然な美しさ、デリカシーを
若干損ねているようにも感じます。(これは、好みの問題だと思いますが…)
また、録音面では、ピアノの音像そのものはクリアですが、やや小さく奥まった印象があるため、アルゲリッチのピアノ演奏の魅力を
十分に捉えきれていないようで、何とも残念です。
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ルービンシュタイン(p), スクロヴァチェフスキー指揮ロンドン新響(1961年録音) |
ルービンシュタイン
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※淡々とした流れの中に深い味わいを感じさせる老成された熟練の演奏
ステレオ録音による、ルービンシュタイン・ショパン全集の中の1枚。
「大家の余裕」、「巨匠の芸術」といった形容こそ相応しい落ち着いた風格ある演奏です。
コクのあるまろやかな音色、基本的に遅めのテンポで、一つ一つの楽想を淡々と、しかし実に自然な息遣いで再現して
いきます。一聴して淡白で退屈な演奏に聴こえてしまいそうですが、ルービンシュタインが長年の演奏経験で
培ってきた巧みな節回しが随所に聴かれ、いぶし銀のような苦みばしった渋い芸風がこの演奏の大きな特徴になっています。
「若々しいリリシズム」というこの作品の本来の魅力とは若干趣を異にしていますが、ルービンシュタインの完成された
芸風を今に伝える貴重な録音です。
但し、録音が甘いのが何とも残念。ピアノの音像はかなり遠くぼやけており、ぼんやりとした響きで何とも形容しがたいです。
このような録音のため、ルービンシュタイン特有の力強く男性的な打鍵と逞しい音楽作りは、ここでは聴くことができないです。
これが例えば、その2年後に録音されたチャイコフスキーのピアノ協奏曲ぐらいのレベルになっていれば
それなりに聴ける演奏だったと思います。あくまで、「世紀の巨匠ルービンシュタインによる歴史的録音」という位置付けで
捉えておけば間違いがないと思います。
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ツィマーマン(p), ジュリーニ指揮ロサンゼルスフィル(1978年録音)<<おすすめ度No.1>> |
ツィマーマン
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※若々しく瑞々しい美音で歌い上げた若き日のショパンの憧れの歌、完璧なテクニック。管理人一押しのCD。
ツィマーマンがショパンコンクール本選でこの曲を弾いてほぼ満場一致で覇者となった時から3年後の録音。
ショパンは作曲当時、弱冠20歳でワルシャワで最後の年を過ごしていました。この作品はそんな青年ショパンの
思い出の作品で、若々しく爽やかなリリシズム、夢見心地の幻想、一抹の不安を綯い交ぜにしつつも、初恋の女性への
思慕と憧憬が色濃く現れていますが、ツィマーマンは、そのような細かな心のひだに深く分け入っていき、
瑞々しい音色、洗練されたタッチで、非常な説得力をもって聞き手に訴えます。それと同時に
気品と清潔感を持って歌われる各旋律は、実に格調高いもので、変になよなよすることなく、凛とした
一本筋が通っているのは、この人の卓越したバランス感覚のためでしょう。ショパンは自分の名声を確立すべく、
この作品をワルシャワデビューのために覇気を持って書いたと言われていますが、ツィマーマンは、そのような
ショパンの意図した豪華絢爛たる演奏効果も十二分に意識し、技術的な難所は、実に芯のしっかりしたシャープな
音色で、一点の曖昧さも残さずに管弦楽のバックを押しのけて完璧に鳴らしていて、その迫力にも圧倒されてしまいます。
ショパンがこの作品に盛り込んだあらゆる要素が、ほぼ理想に近い形で完璧に再現された非常に稀なケースといってよく、
僕は躊躇なく、この演奏を同曲のベスト盤として推薦します。一押しの決定盤。
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ツィマーマン(p), コンドラシン指揮アムステルダムco(1979年録音) |
ツィマーマン(輸入盤)
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※異なったシチュエーションでも変わらない演奏を聴かせてくれるツィマーマンの奇跡を聴く
この演奏は、ジュリーニとの録音から1年後、1979年に行われた演奏会のライブレコーディングです。
1986年録音との誤報が流れていますが、この演奏の瑞々しさ、初々しさは、明らかに彼の活動初期のものです。
この演奏を聴くと、ツィマーマンの弾くピアノがいかに計算し尽くされたものであるかが一聴して分かります。
ジュリーニとの録音とを楽想、フレーズ毎に細かく聴き比べると、細部に至るまでほとんど同じ表情付けをしているのです。
微妙な間の取り方、アゴーギク、音色の使い方等等。ツィマーマンの活動初期の演奏は一聴して瑞々しく爽やかですが、
あれは、一期一会、一回性、即興性などとは無縁のもので、彼にとって、作品そのもののただ一つの真実の姿なのだ、ということが、これを
聴けば分かります。とにかく、Dと徹底的に聴き比べしてみることです。音楽的内容は、まさしくうりふたつ、
一卵性双生児です。ツィマーマンという人はどんな状況に置かれていても、絶対に崩れることのない完璧な演奏を
する人だといわれており、これもショパンコンクールの異常な熱気の中で冷静で完璧な演奏を聴かせた頃から
既に伝説になっていますが、これを聞けば、その事実にも納得してしまいます。
残念ながら、これを推薦できないのは、偏に公平さのためです。
個人的にはこれも推薦盤にしたいです。
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仲道郁代(p), コルド指揮ワルシャワ国立pso(1990年録音) |
仲道郁代
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※作品の持つ自然さや美しさをそのまま丁寧に伝えてくれる演奏
バックは当時からショパンコンクール本選のバックを務めるコルド指揮ワルシャワ国立フィルハーモニー響。
彼女は、丁寧なタッチで一つ一つの楽想を大事にしながら、慈しむように弾き進めていきます。こまやかで
微妙な表情の移ろいを決して大胆にではなく、極めて自然に表現していて好感が持てます。自己主張を
するのではなく、作品に寄り添って、作品そのものに語らせようというそのひたむきな姿勢には、
ショパンの音楽を愛する人間として見習うべきところが多いです。個人的にはかなり好きな演奏です。
「アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ」(オーケストラ伴奏付)も収録されており、こちらも
実に丁寧に一音一音を扱った素晴らしい演奏です。
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横山幸雄(p), 大友直人指揮大阪pso(1991年録音) |
横山幸雄
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※素晴らしいテクニックと研ぎ澄まされた音色。横山幸雄さんのデビュー盤
ショパンコンクール第3位を受賞した1990年ショパンコンクールの翌年の録音。但し、横山幸雄はこの第1番よりも
第2番の方にむしろ強い思い入れがあるようで、ショパンコンクールの本選でも第2番を弾きました。この第1番は、
作品の人気度を考慮して
レコード売上の絶対数を意識しての販売側からの要請で録音されたもののようです。技術的には完成度が
とても高く、実に若々しくフレッシュな演奏となっていて好感が持てます。
鋭く立ち上がるシャープで磨きぬかれた音色で、ショパンのピアノ協奏曲の持つ感覚的な美しさに焦点を当てて、
作品の魅力を引き出しています。しかし、彼にしては珍しい
くらい恣意的なアーティキュレーションが耳につき(特に第1楽章のホ短調の第1主題)、この作品の本来の魅力が失われて
いるように感じます。難曲・ピアノ協奏曲第1番の演奏の中で、これだけの技術的完成度を誇る演奏は多くないだけに、
何とももったいないような気がします。「アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ」も収録されており、
素晴らしい演奏です(オーケストラ伴奏付き)。
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キーシン(p), キタエンコ指揮モスクワpo(1984年録音) |
キーシン
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※神童キーシンの12歳のときの録音。「天才少年現る」と我々を驚愕させた録音
天才少年、神童キーシンの伝説的録音です。驚くなかれ録音当時弱冠12歳。この天才少年の演奏能力の異常な高さ
にはただ恐れ入るばかりですが、単に技術的なものだけでなく、1人の芸術家、ピアニストとしてこれだけ
幅広く説得力のある演奏のできる人は少ないと思います。鋭い感性と素晴らしいテクニックで、物怖じせずに
作品と堂々と向き合い、己の感性を信じてひたすら前へ前へと弾き進めていきます。「でも、12歳でしょう?」
と訝しく思っている方は、是非、聴いてみてください。「こんな12歳が本当にいたのか!」と仰天することでしょう(笑)。
ただ、それはあくまで「12歳の少年の演奏としては」という保留がついてしまうのは仕方がないと思います。
個人的なことを言うと、僕はあまり好きな演奏ではないんですが、それは若干恣意的な
歌わせ方が耳につく箇所があることと、パワー不足の2点です。彼の少年時代の演奏会の録画を
持っていますが、キーシンは体格的にやや華奢で、ピアノ表現もどちらかというと線が細かったです。現在の
若き巨匠キーシンに、この作品の再録音を期待したいです。この録音は、あくまでも「神童時代のキーシンの過去の栄光の
記録」としての意味合いが強いと思います。
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ポリーニ(p), クレツキ指揮フィルハーモニアo(1960年録音) |
ポリーニ
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※ポリーニがショパンコンクール優勝直後に録音した貴重な記録。当時から演奏技巧は超一流だった
ポリーニが第6回ショパンコンクールに満場一致で優勝した直後の貴重な録音。
誰もが知っているように、その後、彼は実に8年間、楽壇から姿をくらまし、一時は死亡説まで流れたほど
謎に包まれた生活を送っていました。その間の空白の時間の前後での彼の変貌ぶりを知る意味でも
この演奏を知っておくのは重要かもしれないです。
それにしても、
この研ぎ澄まされた感性と圧倒的な完成度、そして18歳の少年とは思えない落ち着いた演奏姿勢、
自信に満ちた音の運び、やはりポリーニという人は少年時代からただものではなかったのだという
ことを痛感させられる演奏です(但しあくまで18歳の少年の演奏に対しての評価)。ショパンコンクール審査委員長のルービンシュタインをして
「技術的には我々審査員の誰よりもうまい」と言わしめた伝説を証明する演奏になっています。
それから10年後、センセーショナルなDGデビューを果たした後の演奏とは技術的・音楽的には
比べるだけ無意味な気がしますが、ポリーニファンなら絶対に1度は聴いてもらいたい演奏です。
謎に包まれた8年間に彼がどれだけ成長したかも分かります。
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ツィマーマン(p), ツィマーマン指揮ポーランド祝祭管(1999年録音)<<推薦>> |
ツィマーマン
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※ツィマーマンの弾き振り。彼の思い入れが生々しい肉声となって僕たちに迫る!圧巻!
レコード芸術誌における2000年度レコードアカデミー賞協奏曲部門を受賞した新世代の代表的名盤。
あまりに演奏時間が長いため、第1番と第2番が一枚に収まらないという現象まで。管弦楽の指揮というのは
バーンスタイン亡き後のベートーヴェン・ピアノ協奏曲全集録音の第1番・第2番で経験済みですが、
ここでは楽団の編成からリハーサルに至るまで、ツィマーマン自身ゼロからのスタートで何もかも
やってしまったのだから驚きとしか言いようがないです。しかもこの演奏内容のユニークさは、言葉で言い表せる
ようなものではないです。従来の演奏様式の常識を根本から覆すその破格のテンポ設定。
普通の指揮者なら何となく流してしまう管弦楽の序奏や中間奏、伴奏のそれぞれに対して各パートに
細かく指示を与え、テンポ、強弱、音色の指示も精密を極めています。その思い入れの強さは尋常ではなく、
ロマン派後期の偉大な指揮者たちもここまではやらなかったと思うほどです。ツィマーマンのピアノも
ニュアンスに富んだ表現で、細密を極めます。本曲の難所も唖然とするほど鮮やかな技巧で一点の曖昧さも
残さずに余裕を持って弾き切っています。ああ、何度も繰り返すようですが、僕はピアニストを目指さなくて
よかったです。こんな化け物のような才能の人と同じ土俵で戦うなんて、他の多くのピアニストに同情の
念を抱かずにはいられないです。常識にとらわれない自由な発想とそれをコントロールする彼の冴えた
バランス感覚が産み出した不滅の名盤であると確信しています。
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リパッティ(p), アッカーマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管(1950年録音) |
リパッティ
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※夭折の天才リパッティの残した大切な遺産。最後まで独自の美学を貫き通した潔癖の演奏
夭折の天才リパッティの死の年に開かれたと言われる演奏会のライブ録音です。
リパッティは既に「白血病」の病魔に蝕まれていて、ドクターストップがかかりながら演奏活動を続けていて、既に死期が間近に
迫っていたようです。そのことはリパッティ本人にも周囲の人にも分かっていたようなのですが、この演奏からは、そのような「苦悩」の様子が
全く刻まれておらず、むしろ、ショパン特有の若々しさ、新鮮さが伝わってくる演奏という印象を持ちました。
録音状態、保存状態は最悪のようで、大きなノイズが混じった中からピアノの音が頼りなく聴こえてくる、という感じですが、
それにもかかわらず、リパッティ特有のクリアで透明で悲しげなピアノの音(しかし音の芯は結構太い)が聴こえてきます。
こんな音を生で聴くことができたら…、と思ってしまいますが、たとえ頼りない録音でも、こうして残してくれたことに
感謝するべきなのでしょうね。第1楽章で、ピアノ独奏が始まる前の管弦楽のみの提示部が大幅にカットされているのが惜しまれますが、
これは、この演奏において、ピアニスト・リパッティが完全に主役であることを暗に示しているのだと思います。
天才リリシスト・リパッティの残してくれた貴重な財産としての意味合いの強い録音だと思います。
カラヤン指揮のモーツァルトのピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467も収録。
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アシュケナージ(p), アシュケナージ指揮ベルリン・ドイツ響(1997年録音) |
アシュケナージ
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※意外にもこれがアシュケナージにとって本曲の初録音。どうもこの曲は苦手そう・・・
アシュケナージは、1971年〜86年にかけて、足掛け15年に渡って、管弦楽伴奏付きの作品を除くショパンの全作品の録音を行い、
「ショパン全集」を完成させていますが、名曲として親しまれている本曲・ピアノ協奏曲第1番の録音は、どういうわけか、
先送りになっていました。このCDは、近年指揮者としての活躍が目覚しいマルチ音楽家アシュケナージの「弾き振り」による
ピアノ協奏曲第1番の録音(しかも彼にとって、上記の「謎の沈黙」を破る本曲の初録音!)として、ピアノ音楽の愛好者の方々から期待されたCDだった
ようです(僕も期待していました)。
内容は…普遍性を重視し、中庸のテンポと軽いタッチで淡々と弾き進めていく大人しめの演奏で、特に大きな自己主張はしていないの
ですが、ショパンの音楽の持つ独特の雰囲気が聴く人に伝わってくる演奏で、言ってみれば「良くもなく悪くもない演奏」、「可もなく
不可もなく」という感じの演奏だと感じました。技術的に、もっとレガートで完璧に弾いてほしいと感じる部分も多く、音と音を
プツプツと切ってしまうなど、磨き上げが足りないのが気になるところで、実際、僕はこういう完成度の甘さが気になってしまう
のですが、気にならない人にはお薦めできるのかもしれないです(?)。
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3.演奏比較(所有音源)
ピアニスト | 指揮者 | 楽団 | 録音年 | 第1楽章 | 第2楽章 | 第3楽章 |
ブーニン | ストルガワ | ワルシャワ国立フィルハーモニー | 1985 | 18'57'' | 9'22'' | 9'58'' |
アルゲリッチ | アバド | ロンドン交響楽団 | 1968 | 18'52'' | 9'52'' | 8'57'' |
ルービンシュタイン | スクロヴァチェフスキー | ロンドン新交響楽団 | 1961 | 19'39'' | 10'44'' | 10'05'' |
ツィマーマン | ジュリーニ | ロサンゼルスフィルハーモニー管 | 1978 | 19'55'' | 10'39'' | 9'40'' |
ツィマーマン | コンドラシン | アムステルダムコンセルトヘボウ管 | 1979 | 19'18'' | 10'04'' | 9'41'' |
フランソワ | フレモー | モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団 | 1965 | 19'55'' | 8'52'' | 10'49'' |
仲道郁代 | コルド | ワルシャワ国立フィルハーモニー | 1990 | 19'30'' | 9'51'' | 9'47'' |
横山幸雄 | 大友直人 | 大阪フィルハーモニー響 | 1991 | 19'34'' | 10'37'' | 9'45'' |
キーシン | キタエンコ | モスクワフィル | 1984 | | | |
ダン・タイ・ソン | マクシミウク | シンフォニア・ヴァルソヴィア | 1992 | 19'53'' | 9'49'' | 9'36'' |
ポリーニ | クレツキ | フィルハーモニア管弦楽団 | 1960 | 19'00'' | 10'16'' | 9'21'' |
ツィマーマン | ツィマーマン | ポーランド祝祭管弦楽団 | 1999 | 24'25'' | 12'35'' | 9'35'' |
ヴァーシャリ | セムコフ | ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 | 1965 | 20'08'' | 10'35'' | 10'20'' |
ペライア | メータ | イスラエルフィルハーモニー管弦楽団 | 1989 | | | |
リパッティ | アッカーマン | チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団 | 1950 | 17'24'' | 9'49'' | 9'21'' |
アシュケナージ | アシュケナージ | ベルリン・ドイツ交響楽団 | 1997 | 19'44'' | 9'28'' | 9'47'' |
4.その他の音源(管理人がまだ未聴のもの)
ピアニスト | 指揮者 | 楽団 | 録音年 | 第1楽章 | 第2楽章 | 第3楽章 |
アルゲリッチ | デュトワ | モントリオール交響楽団 | | | | |
ネボルシン | アシュケナージ | ベルリン・ドイツ交響楽団 | | | | |
アルゲリッチ | ロヴィツキ | ワルシャワ国立フィル | | | | |
アルゲリッチ | ノヴァク | シンフォニア・ヴァルソヴィア | | | | |
ボレット | デュトワ | モントリオール交響楽団 | | | | |
ムストネン | ブロムシュテット | サンフランシスコ交響楽団 | | | | |
レオンスカヤ | アシュケナージ | チェコフィル | | | | |
ルイサダ | --- | ターリヒ弦楽四重奏団他(六重奏版) | | | | |
ピリス | クリヴィーヌ | ヨーロッパ室内管弦楽団 | | | | |
フジ子・ヘミング | シモノフ | モスクワフィル | | | | |
ブーニン | コルド | ワルシャワ国立フィル | | | | |
フランソワ | クレツキ | フランス国立放送管 | | | | |
更新履歴
2005/03/01 「演奏時間比較」追加
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