ショパンコンクールとは | ||
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ショパンコンクールの特徴
・正式名称:ショパン国際ピアノコンクール
ショパンコンクールの正式名称は「ショパン国際ピアノコンクール」と言います。 ショパンコンクールは今でこそ世界的に有名で、1985年にスタニスラフ・ブーニンがこのコンクールで優勝して大フィーバーを巻き起こしてからは、 我が国でもその存在が国民中に知れ渡ることになり、音楽愛好家の間では知らない人はいないほどの 圧倒的な知名度を獲得して現在に至っています。 ショパンコンクールは数あるピアノコンクールの中でも規模とレベルは最高レベルで、チャイコフスキー国際音楽コンクール・ピアノ部門、 エリザベート王妃国際音楽コンクール・ピアノ部門と併せて、三大ピアノコンクールとも呼ばれています。 その中でも、ショパンコンクールは最も長い歴史と伝統を誇り、難易度・参加者のレベルも他を圧倒しており、 まさに「ピアニストの登竜門」です。 ショパンコンクールが始まったのは1927年(日本では昭和2年)で、 発案者・創始者はワルシャワ音楽院のイェージー・ジュラブレフ教授です。 今日でこそショパンの作品の魅力は正しく評価されて、世界中の多くの人たちに愛されてはいますが、 当時は決してそうではなく、ショパンは古臭く安っぽいセンチメンタリズムの作品ばかり書いた作曲家として 不当に低く評価され、あまり顧みられない存在だったようです。 ショパンを熱愛するジュラブレフ教授は当時のこうした誤った認識を憂いており、 ショパンの真価が世界的に正しく評価されるための国際的なディスカッションの場を設けたいと考え、 また当時の若者たちがサッカーなど(当時はフットボール、日本では蹴球とも言われていた時代)スポーツ競技で得点を競うことに我を忘れ、 選手たち以上にファンたちが熱狂する現象に注目し、 ピアノコンクールにこのようなスポーツ競技の要素を取り入れれば、世界の流れに乗って、 これからの音楽界を背負って立つ若者たちが、ショパンのピアノ音楽に真剣に向き合ってくれるかもしれない、という思いもあり、 ショパンコンクールの開催に思い至りました。幾多の紆余曲折はあったようですが、1925年に思い立ってから約2年の時を経て、 1927年に第1回ショパンコンクール開催となりました。 他の国際ピアノコンクール、例えば、チャイコフスキーコンクールの開始が1958年、エリザベートコンクールの開始が1951年であることを 考慮すれば、1927年開始のショパンコンクールは最も古い歴史と伝統を誇るコンクールであることが分かります。 開催当時は、参加者は開催国ポーランドとソビエト連邦でほとんどが占められる状態でしたが、 それ以外の共産圏の国々、そして西側やアジアの国々からも徐々に参加者が現れるようになり、 真に国際規模の世界的コンクールに発展していきます。 1955年までは優勝者は全て共産圏で占められていましたが、1960年にマウリツィオ・ポリーニ(イタリア)が優勝すると、1965年にはマルタ・アルゲリッチ(アルゼンチン)、 1970年にはギャリック・オールソン(アメリカ)と西側の優勝者が続出することになります。 ショパンコンクール歴代優勝者の顔ぶれも、ポリーニ、アルゲリッチ、ツィマーマン、ブーニン、ブレハッチなど、 世界の第一線で活躍中の超一流ピアニストが綺羅星のように並んでいて、 この事実はまさにショパンコンクールが他の追随を許さない世界最高レベルのコンクールへと発展したことを何より物語っています。 5年に1度という開催間隔の長さも、結果的にショパンコンクールのブランド力向上に大きく寄与しています。 開催国ポーランドではショパンコンクールは国中を挙げての一大イベント、待ちに待った祭典としての性格が色濃く、 ポーランド国民が一斉に注目するイベントだそうです。 コンクールの模様を中継するポーランドのテレビ局もあり、街の飲食店ではその中継を流しながら、 普段はピアノ音楽に関心のない国民までがその模様に見入る光景も見られるとのことです。 ショパンコンクール開催半年以上前から、ワルシャワ・フィルハーモニーホールには、ショパンコンクールを生で聴きたい熱烈なショパンファンが多数押し寄せて 長蛇の列を作るほどで、そのチケット入手は極めて困難で、 コンクールが始まると、残念ながらチケットを入手できなかった人たちがホールの外に多数詰めかけ、 ホールから漏れ出てくるコンテスタントの演奏に耳を傾けるという光景は、もはやワルシャワの風物詩となっているようです。 2005年以降は、ショパンコンクールのインターネット実況中継も始まり、 ショパンコンクールが毎回開催されるたびに、遠い島国からであってもショパンコンクールをリアルタイムで楽しめるようになり、 良い時代になったとつくづく思います。 ショパンコンクールが他の国際コンクールと大きく異なる点は、予選から本選まで、ただ1人の作曲家(=ショパン)の作品だけを 弾き続けるという点です。作曲家の名を冠したコンクールは他にも多くありますが、それらのコンクールは多くの作曲家の作品が課題となっています。 しかしショパンコンクールの場合は、第1次予選から本選のコンチェルトまで、ショパンの作品だけが課題になっているわけです。 これはショパンが残した作品の平均水準が極めて高く珠玉の名曲揃いであり、コンクールの予選から本選までの長い時間、 鑑賞のしがいのある作品を弾き続けられるほどの選択の余地があるからこそ、このような選考形態が成立しているとも言えます。 このような作曲家は、古今東西、ショパンをおいて他にいないと思われます。 しかも、ショパンコンクールの大きな特徴として、ただ単にテクニックが超絶的に優れているだけでなく、 ショパンの音楽の本質を深く理解しているかどうかが問われる点が非常に重要です。 他のコンクールでは様々な作曲家の作品を演奏するため、苦手な作曲家がいても、 可能な限りそれを避けることで自分の得意な曲目でプログラミングすることも可能ですが、 ショパンコンクールでは、それができないわけです。 どんなにテクニックが優れていても、ショパンの音楽の魅力を理解できず、聴衆に伝えることができなければ、 良い結果が残せないわけです。 そのようなわけで、ショパンコンクールでは、ショパンただ1人の作品だけで演奏者の真価を問うわけですから、 その選考課程で選ばれた入賞者は取りも直さず優れた「ショパン弾き」ということになります。 しかも、ショパンの作品はピアノの特性を最大限に発揮する優れたものばかりであり、これらを素晴らしく演奏できる才能と資質を 備えたピアニストであれば、他の作曲家の作品にも通用する資質を備えている可能性が高く(上述したように例外も多々ありますが)、 実際、ショパンコンクールで入賞を果たしたピアニストたちは、ショパン以外のレパートリーでも最高水準の演奏を聴かせてくれることが多いです。 ショパンコンクールの選考形態は、第1次予選でノクターン、スケルツォ、エチュード、第2次予選でプレリュード、バラード(または舟歌、幻想曲)、エチュード、ワルツ、ポロネーズ、 第3次予選でピアノソナタ、マズルカ、即興曲、本選でピアノ協奏曲というのが1990年頃の標準でしたが、 コンクール出場応募者が増えるに従い、現在は予備予選が導入され、予選の数を減らすなどの他、審査基準や採点方法などにも 毎回微妙な工夫や変更があります。 ショパンコンクールも今回(2021年)で第18回となりますが、果たして今後、どのように変遷していき、どのような未知の素晴らしい才能を 発掘してくれるでしょうか。本当に毎回楽しみは尽きないです。
追記(余談)その1:日本人優勝者が過去に1人も出ていない
追記(余談)その2:「ショパコン」と「チャイコン」の「コン」とは?
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